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短編小説『透明人間』 佐々木ののか

2018.11.16

朝起きてコーヒーを淹れて着替えて化粧をして持ち物を整えヒールを履いて外に出たら、私はスコンと地中に落ちた。ふわり浮き上がったら即加速度的に落下、空を切る風は身体を研いでいく。

私は落下の途中、今日のプレゼンのことを考えていた。電機メーカー最大手のC社へのプレゼン。コンサル会社に勤めている私は部長としてプロジェクトを一任され、社長からは「会社の命運をかけた大勝負だぞ」と言われている。社内で管理職に就いている女性は40歳の私だけ。それもそのはずだ。この会社で働いた女性はみんな、結婚して子どもを産むと寿退社してしまう。女性には産休と育休がないというのが、この会社の暗黙のルールなのだ。

もちろん私とて出産を考えなかったわけではない。でも、私はこの会社が好きだった。この会社の役に立ちたかった。会社の役に立ちたくて、出産を諦めて仕事一筋でやってきた。今与えられている役職は、私の積み上げてきた財産だ。今日のプレゼンも絶対に決める。会社のために、商談を成功させてみせる。

それにしてもどこまで落ちていくのだろうと私は考える。そもそもどうして落ちているのだろう。このまま落ち続ければC社に着けるのだろうか。

そんなことを考えていたら、急に視界が白く染まり始めた。そうしてまもなく、腰に痛みが走った。

「痛っ」

砕かれるような痛みに呻いていると、プロジェクトの部下やC社の窓口になってくれていたLさんの声が聞こえた。どうやら、そこはC社の社長室のようだった。

慌てて立ったが、誰にも気づかれていないらしい。ホッと胸を撫でおろして、Lさんに歩み寄る。

「お待たせしてしまってすみません。本日のプレゼン、よろしくお願いします」

Lさんはこちらに目もくれず、あわただしく部屋を出て行ってしまった。商談前の準備でもしにいくのだろう。私は席につき、資料に目を通し始めた。

それにしても、部下たちも挨拶もない。私に気づかないほどプレゼンのことで頭がいっぱいなのだろうか。入社4年目のEさんは特にメンタルの弱い子だ。もっとケアをしてあげればよかったかもしれないと今更ながら思う。

しばらくして、C社の社長が入ってきて、空気が一気に張りつめる。会社員人生16年をかけた、一世一代の大勝負。ここで負けるわけにはいかない。

プレゼンターを務めてくれるのは、入社10年目のAくんだ。ロジカルに話すのが上手なのは入社のときから変わっていない。

「今回の御社へのご提案のコアになるのは、女性の管理職の割合についてです。御社は女性の社会進出を全面に打ち出して女性社員の獲得を目指しておられますが、女性の管理職はゼロに等しい。これでは世間の納得度は低くなってしまうのではないかというのが私たちの仮説です」

「それについてだがね」

革張りのソファに腰かけた社長が話し始めた。

「確かに女性の管理職はほとんどいないが、うちは子育てしているワーキングマザーを多く囲っている。女性の社会進出と言えば、それで十分ではないかね」

それは違う、と、真っ先に制したかった。働く女性は、子育てをしている女性だけではない。独身であろうと子どもがいなかろうと女性は女性で、女性の社会進出を真に目指すならば、その両方を視野に入れるべきだ。

Aくんがこう切り返す。

「確かにおっしゃる通りです。子育て真っ盛りのワーキングマザーが管理職に就くのは一般的には難しいかもしれません。しかし、管理職がゼロでは説得力がありません。かつては弊社にも長年勤め上げた女性社員が管理職に就いたことがありましたが、そういった可能性はございませんか?」

「みんな辞めていくんだよ。でも、辞めてくれてけっこう。だってね、今は少子化の時代だろう? 子どもを育てながら働く女性。とっても耳障りが良いじゃないか。女性の社会進出にまつわる政府の政策だって、子育てをしている女性に限っている。それを世間も良しとして応援している。何の疑問も持っていない。つまりね、子育てをせずに働く女性は、社会進出などしなくてもいいんだよ。いないも同然だ。異議がある人はいるかね」

「お言葉ですが」

私は挙手をして立ち上がった。

「大変恐縮ではございますが、子育てをしていない女性は必要ないかのような言い回しは御社にとってマイナスイメージをもたらすばかりでなく、実際に御社で働いている女性社員の方の働きやすさをも揺るがす問題になりかねません。御社のことを愛し、仕事一筋で勤め上げている女性社員もいるはずです。これは世間へのイメージ戦略の話ばかりではありません。御社と御社に所属する社員の方々との信頼関係の問題でもあるはずです!」

かなり私情を込めすぎてしまったかもしれない。でも、これは私の一世一代の商談なのだ。出産を諦めて、仕事を選んで一心不乱に突き進んできた私自身を投影した提案でもある。これが通れば、他社で働く私のような立場の人も報われるはずだ。絶対に通したい。絶対に、絶対に。





「……今、椅子が勝手に動かなかったかね?」

女性活躍が叫ばれて久しいけれど、目にするシンポジウムには「ワーキングマザー」とか「子育て」「両立」の文字が散りばめられている。まるで子育てしていない女性は「女性活躍」の枠組みからすっかり除外されているかのよう。

もちろん意図して省いているわけではないだろうけれど、同じ「働いている女性なのに眼中にもないというのは無視という、無意識の暴力には当たらないだろうか。耳障りの良い言葉ばかり祭り上げて、そのほかを除外してしまってはいないだろうか。

子育てと仕事の両立がしやすい環境や、ワーキングマザーもどんどん増えていってほしいと思う。けれど、何かを応援したり注目したりするとき、零れ落ちてしまっているものがないか、立ち止まって考えられる人間でありたい。

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